昨日の日記の『命のバトン』について・・・。
娘が産まれてすぐの頃、母が娘を抱いて「命の綱だね」ってしみじみ言ったことで、なんだか心に響いて書き留めた言葉。
私なりにちょっと変えて書いたんだけど。

小学生の時から『死』っていうものが怖くて、夜に眠れなくなったり泣いたりしていた。
今でもたまに自分や母や父が死ぬ時のことを考えて、胸がドキドキすることがあるんだけど、それは免れないことだと思って落ち着いてみる。
例えば、神様が「あなただけずっと生きていていいですよ」って言ってくれたとしても、自分の愛する人がどんどんこの世から去っていくのを見続けるのは不幸以外の何ものでもない。
「あなたとあなたが選ぶ数名、ずっと生きていていていいですよ」っていうのも結局誰を選ぶかで迷って苦しむだろう。
生きているということは、いつか死ぬこと。
事故や殺人、疫病や天災、何が起こるか分からないこのご時世、天命をまっとうできたら上等って思わないと。
そして、生きている時にできる自分の仕事をしっかりこなさないとって思う。
その一つが子供を産んで、その子に母から受け継いだ『命のバトン』を託すこと。
産むだけではない。しっかり育ててその子が次世代に『命のバトン』を渡せるように見届けたい・・・。
それなのに、世の中にはせっかく授かった子供を虐待して殺してしまうような母親もいる。どうして・・・と、心を痛めるばかり。
バトンを受け取ることができなかったかわいそうな子供たちのことをさぞ無念だったろうと思う。

『死』への恐怖はいまだに持っているけれど、『命のバトン』のことを考えると、少し楽になってきた。
先日、息子の昼寝中めずらしく娘をおんぶして庭に出てみた。
娘は「○○はずっとこのおうちで母さんと一緒にいたいんだー」
と言った。
こんなかわいいこと今しか言ってくれないなーと思いつつ、
私も「母さんもよ」と。
娘「○○と母さんと父さんと○○くん(弟)でずっと一緒がいいね」
私「そーだねー」
娘「でも母さんは星になるんでしょ」
月並みなんだけど、私はおばあちゃんたちがいつか死ぬということを『星になる』って教えてしまってそのことを言ったらしい。
私「そうよ。でも○○のことずっと見てるから安心してね」
娘はびっくりして
「星には目があるの?」って聞いた。
私「・・・そう、だね。
  目も鼻も口も耳も。手もあるよ」
娘「そっか」

いつか死ぬ時が来て、本当に星になれたら素敵。
『死』というものがなかったら、地球の人口はいっぱいいっぱいになっちゃうけど、宇宙は無限大。
死んだ人がみんな星になっても大丈夫だね。
星になって娘や息子、大事な人たちとまた手をつなげたら・・・なんだか楽しそう。
でも、生きている今をしっかり生きて、尚且つ自分が産んだ子供たちの人生もキラキラしたものにしてあげないと、と思うのです。

明日は娘の稚児行列の晴れ舞台。がんばるそ!

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